docLine

2012

May

13

キャロル・シェルビーさんとの思い出


snakebit

キャロル・シェルビーさんとの思い出 キャロル・シェルビーさんとの思い出

我々にとって、必ず近い将来に起こりうるであろう事が、2012年5月10日の晩ついに起こってしまいました。
本当に今思うと、あのお歳なのに......ユーモアがあり、アイディアマンで、たまにこの私でさえ目が点になるようなことをやってくれた、キャロル・ホール・シェルビーさんでした。
私がシェルビーさんに初めて会ったのは、ガーデナのフィゲロアストリートにある、当時(1989年春)グッドイヤーのレーシングタイヤの元締めをやられていたころです。
当時シェルビーさんは70歳を少し超えたころで、今思うと全く別人のような、言葉使いはテキサス訛りそのままの"カウボーイ"でした。彼はガーデナの事務所の裏に住まわれていました。当時はヘリ―タさんというフィリッピン人の秘書の方がいらっしゃって、色々全世界からくるプロジェクトに、1件ずつ対応されていたのです。
私は直接「ハロー!!」という感じで、当時私のコーディネイトをしていただいていた、Yuriさんと一緒に、彼を訪ねました。

シェルビーさんは非常に気さくな方で、日本人の私を温かく迎えてくれました。当時の私は毎月何台も、コンテンポラリー・コブラというキットカーの輸入販売元を日本で、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでガンガンやっていました。今思えば、若くて28歳の好青年(自称)だったと思います。
何回かシェルビーさんの所へ通ううちに、私が「シェルビー・コブラ・ワールドにおいて、貴方がお勧めできる信用できる人は誰ですか?」という質問に、「マイク・マクラスキーはベストパートナーだよ。彼の仕事は、他に例を見ないくらい値段が高い。でもファーストクラスの思いを、貴方のお客様に提供するよ」と答えてくれたのもシェルビーさんだったのです。
私はシェルビーさんに出張のたび、何時もご挨拶しに行きました。今回はこの件とこの件で来ましたというと、この件はこの人間に連絡を取って進めなさい。これはこの人間が良いと思うよ、という感じで、色々サジェスチョンしていただきました。
私がシェルビーさんに、「後輩は先輩の面倒をみる、先輩は後輩を育てる」というのが私の人生の指針です」と言ったところ、シェルビーさんはOKといい、色々進めてくれたのです。

ミ―テングが昼時だと、カーソンストリートに今でもあるNamiというレストランで食事を御馳走になりました。僕は一番びっくりしたのは、シェルビーさんが箸を使うのが上手で、日本食が大好きなこと。しかも、事務所のテーブルの引き出しからは、丸美屋のふりかけが出てきたのです! なぜそんなことを知っているんですか? と聞くと「Akiko Kojimaが教えてくれた」と言っていました。その時はその方が誰なのかも知りませんでしたが......。

その後の私の人生を変える事になった、「クルマって本当に楽しいものでしたよね......」モノ作りプロジェクトは、この時もう始まっていたのだと思います。その後、私が初めてお会いした時にシェルビーさんに頼まれた「日本の横浜と言う所にいる、Yoshio Suzuki"Suzuki Bankin"と言う会社を探してくれ」という依頼に応えるため色々調べたのですが、中々探す事が出来ず......。
でもあるとき、ひょんなことからスズキバンキンのYoshio Suzki氏、鈴木の親父さんと出会う事が出来たのです。

"親父さん やっと会えましたよ・・・ドン ニコルス さんに "

ちょうどアメリカ出張中でしたので、マイク・マクラスキーさんと事務所で今までの思い出を二人きりで話しました。彼はシェルビーさんのよい事も悪い事も、私と全く違った面も知っているので色々あるのでしょう。

私は、シェルビー・コブラと言うクルマと"縁"あって、その後キャロル・シェルビーさんと知り合い、コブラに惚れ込みました。走る・曲がる・停まるを、ずば抜けたパフォーマンスでこなすコブラを誕生させた、キャロル・ホール・シェルビーさん。
本当に色々ありましたが、愉快なお父さんだったと思います。ある時は、足をバタバタさせてマイクさんが完成させたばかりのコブラをけっ飛ばしたり、Torranceエアーポートのフェンスを叩いて怒っていたり、本当に思い出しても笑える方です。シェルビーさんの笑顔は最高でした。きっと今晩はリバーサイドのレースウエーで、

「Just Arrived Came Back now!」

と言う事でWelcomeパーテーをやられているでしょう。そこには、もちろん鈴木の親父さんがお迎えに出てくれて、スターリング・モス氏がいて、ケン・マイルズさんもいて、皆で祝杯しているんです。

シェルビーさん、本当に我々に楽しい乗り物を誕生させていただき、ありがとうございました。何時までも私のなかには、キャロル・ホール・シェルビーさんと鈴木の親父さんがいらっしゃいます。あの時貴方に言われた「マス、もう誰もシェルビー・コブラなんて......」という言葉に、私は「シェルビー・コブラを世界中の方々に、もっともっと楽しんでもらいたいんです」と言った事は忘れません。
これからも頑張って、シェルビー・コブラを世界中の方々に楽しんで頂けるようにやって行きますので、よく見ていてください。

キャロル・シェルビーさんとの思い出

株式会社シェルビーアジア
代表取締役 田邉正剛 
docLine

pageTop