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2011

Mar

18

"親父さん やっと会えましたよ・・・ドン ニコルス さんに " 後編


snakebit

まずはじめに・・・天馬コーポレーション American Super Cars から

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訃報

かねてから鈴木の親父さんは,病院にて療養中だったそうですが,18年01月24日午前04時40分に、かなわず、ご他界なされましたとのこと。誠に痛恨のきわみで心よりお悔やみ申し上げます。突然の悲報に接し,呆然自失のありさまです。

お元気だったころのお親父さんの本当に良い笑顔ばかりが目に浮かびます。訃報がいまだに信じられません。私し只今,アメリカの方に出張中で,お別れにも伺えず、残念でなりません。 今はただ、ご冥福を祈るのみです。どうぞ安らかな旅立ちでありますよう、心からお祈りいたします。

親父さんとは,・・・・今思えば,本当に偶然の出会いだったのです。
あれは,確か1989か90年の頃だったと思います。横浜カントリークラブの近くにあります,レストラン"谷"で偶然合い席をさせて頂きました。お昼時で混んでいましたので,私が 親父さんに「合い席させて頂い てよろしいですか?」と伺ったら,非常に気さくに「どうぞどうぞ・・・」と言ってそれが、初めてお見かけしたお親父さんの笑顔でした。それと,年配の方のに非常に食欲が旺盛な 方だなぁ~と,当時記憶しております。その時に,私が目にした、親父さんの胸の"鈴木板金"と刺繍が入った開襟シャツを、着ていらして 私は「もしかして,失礼ですが・・キャロルシェルビーさんをご存じですか?と声を掛けたら・・・。お親父さんは 「あんたシェルビー知っているの?俺のダチだよあいつは・・・」とおっしゃられたのです。と言うのは,以前シェルビーさんから横浜に「スズキばんきんの スズキ ヨシオという人間がいるから探してくれと 度々言われていたのです。えッ,おじさんですか?"スズキ ヨシオ"さんって,・・・私は,非常にこの偶然に驚いたのと同時に 本当に本当に,キャロルシェルビーさんを、ご存じの スズキ ヨシオさんですよね。と確認をしました。それから,私達の 夢の 物作り・・・
"何かわくわくするようなくるまって本当に楽しい物ですね"
    プロジェクトは始まったのです。

clip_image005.jpgその後現代の日本の 物作りの第一人者である,牧清和さんと私は,出会うわけです。親父さんに「あんたところで何しているの?」と聞かれて,「僕,日本でシェルビーコブラの日本の輸入元や っているんです」とお伝えして,早々その日のうちに私の当時横浜の蒔田にありました,コブラカンパニージャパンのショールームに来て頂きました。

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道路が混んでいて,シェールームの手前で並んでいたら,お店の前にクルマが何台かでていたら,親父さんは「お~と言う奇声ををあげて,あんたおもしろいことやってんじゃんと,おしゃって,・・・クルマから飛び降りてコブラに駆け寄り,父親が自分の赤ちゃんを見るような目で・・・コブラを見て・・・,「これは427だな最初は289というモデルを作ったんだよ・・・俺はぁ~さ,このクルマの前のモデルの289のコブラの1号車を,リバーサイドと言ういう所のサーキットで,試乗したんだよ。ピートブロックと一緒に行ってさ,」

「当時ね,ホテルが1ドルで泊まれて,ステーキが1ドルでさ,本当にでかい草履のようなやつでさ・・・,あんたホテルなんてさ,・・・風呂はいる時なんて牧場で使っている様な牛乳を入れるドラムのような物を2人り係で担いで来て・・お湯とお水で埋めるんだよ。それが1回の風呂が1ドルなんだ。」それから,1963年の Daytona12時間のレースに,当時第一回のミスユニバースの"コジマ アキコ"と言う方を帝人の会長の(当時)大屋さん(多分あのオオヤマサコさん の旦那さん?)から「鈴木君ミスユニバースのコジマアキコをそのレースに連れて行って,日本で始まったばかりの・・ミスユニバースのコンテストの"ハク"を付けて来てくれ」という依頼だったそうです。その時に289のモデルの前身の,確かスターリングモス 運転の260のレースカ ーが,コーナーのサンドの山に突っ込みフェンダーがタイヤにあったって(喰い込んでしまって,・・動かなかったコブラを)そこを場内放送で・・MR,SuzukiMr,Suzukiと言うアナウンスが入り・・・親父さんがその場に行って見ると,前側が潰れてしまったコブラがあったそうです,それを工具など使わずに,その場にあるジャックナイフと,石ころで直さなければいけないそうです。ななななん~と,そのクルマがレースで総合3位に入賞してしまったという今でもアメリカの伝説的逸話に成り脈々と語り継がれている,アメリカのコブラ乗りだったら誰でもMr,スズキのこの逸話 は知っているんです。その功績を認められて,お親父さんは,その時のDaytone12時間ベストメカニック賞を頂いたそうです。

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clip_image013.jpgそれと,もう一つお親父さんが,私に昨日のことのように語ってくれた事があるんです。

clip_image014.jpgそれは,当時日中はレースを皆行い,夜間は連夜のごとくホテルにてパーティーが行われるそうです。レーサーと言えば当時は花形職業だったらしく(現在でも日本以外では?・・)それはもう女性には非常にもてたそうです。お親父さんの レース場での功績が皆に知れ渡りお親父さんはパティーに呼ばれたそうです。

clip_image016.jpgそれで,Hiltonホテルに行くと皆,昼間の埃まみれの格好とはうって変わってびしっとタキシードで決めていたそうです。 お親父さん曰く,「あんた1963年って言ったら,日本はまだ終戦から20年しか経って無くまだまだ日本は貧しかったんだよ,今でこそタキシードなんて当たり前だけど・・・,Daytonaに来るのに,飛行機を3回も乗り継いで行かれなかったんだから・・・,それで途中で寄ったハワイで買ったアロハシャッを来て・・・

clip_image018.jpg呼ばれたパーティーに舎弟と一緒に行ったんだ・・・,そしたら,入り口で,ネクタイを締めていないので入れもらえないと言われたんだよ。これには困った・・」そしたら,そこへ当時のロジャースミス(確か現?又は何期前かのGMの会長・・)氏が通りかかって・・・ミスタースズキが,入り口で入れないでいるぞ・・・・と中で,騒いだら・・・なんとなんと,その会場にいた,ヒルトンホテルの支配人が,パァ~ットとネクタイを取って・・・これでどうだ?とやったそうです。それに続き・・・・会場の大概の方々がネクタイを取って・それはそれは,お親父さんは本当にうれしかったそうです・・・・。なんとお洒落な面々が居た60年代。本当にうらやましいですね。戦後20年そこらで,お互いちょっと前に 戦地でお互い戦った物同士が,クルマによってアメリカ・日本を問わず世界中の人間が・・意気投合し,お互いを理解し合ってそれはなんとすばらしい事ではありませんか。

このほかにも,当時キャロルシェルビーが年間7回も日本に来て富士スピードウエーのバンクの設計に関わられた事やシェルビーと一緒に行った将校クラブで初めて踊った"ツイスト"の話や,シェルビーさんとコジマ アキコさんとの話等・・,ななんと一歩間違っていたら当時アルミナムのコブラをお親父さんの所で作られて居たかも知れなかったお話等・・・まだまだ色々な 楽しい思い出を,いっぱいお親父さんは私に語ってくれました. 私のショールームに午後3時頃こられて お宅に送っていったのは夜9時過ぎになっていまし た。別れ際に私が・・・「親父さん,次の世代の方々に,楽しといえるクルマを残してあげたいんです・・・・親父さんもその事に協力して頂けますか?」と言う僕の提案に・・・・お親父さんは笑顔でうなずいてくれました。それがその後 マレーシアにて行われたユナイテッド シェルビーのプロジェクトなんです。

clip_image020.jpg本当に,本当に 良い思い出を ありがとうございます。

clip_image022.jpg今ね,きっとお親父さんは,・・・・あの60年代当時の・・あのサーキットに行っているんです。そこで親父さんはあの大きな大きな,1ドルの草履ステーキをモリモリ皆で食べ,1ドルのホテルに泊まられて・・1ドルのお風呂に入り,・土誇りで誇りまみれで・・あの独特のガソリンの臭いのする・・・サーキットで,当時のお親父さんが,皆といることでしょう・・そこにはスターリングモスが居てケン マイルズが居て,もちろんパーネリジョンズさんもいて,もちろん御大のキャロルシェルビーも,ダンガーニーさんも, まだ坊やだったピーとブロックさん達が・・・その当時の姿で皆さんるのです.親父さんは,本当に毎日忙しそうにコブラを直しているんです・・・・・・。

clip_image024.jpgこの写真は 当時シェルビーさんが このリンカーンの前で写真を撮って鈴木に見せてやってくれ私は毎回 ロサンゼルスの空港にこのリンカーン出迎えに行ったんだから。

clip_image026.jpg私はどうしても この鈴木の親父さんから 伺った当時のお話と どうしても 気になるクルマがあるんです。それを本または 映画にしたいんです。クルマ好きだったら 誰でもこの話は知っている それは日本人の 鈴木義雄と言う方が 居た。それと当時 ドン ニコラスさんから 製作の 依頼を受けた "イーグル"号と言うクルマなんです。

clip_image028.jpgこれは 当時 まだ親父さんンが シェルビーさんと知り合う前に(ドン ニコルス氏が 親父さんにシェルビーさんを紹介したと言う事も今回 ドンさんに会って 分かりました)そのドンさんの依頼を受け 当時まだ終戦からそれほど経ってない1950年代の初頭に このクルマは 親父さんの手によって作られました。ドンさん曰く 鈴木は本当に素晴らしく フレーム 足回りは全て 鈴木のデザインで 彼は本当に素晴らしいとおっしゃっていました。私は今回の出張にてどうしても ドン ニコルス氏に会いたいと言う思いから・・この様な機会に 恵まれました。今回出張に同行した 講談社の小野君に 「ドン ニコルス氏に会って来てください。」と言う依頼で? でも 住所は 所在は?どうすれば そうだそう言えば 先日 ビル大友さんと言う方から 連絡を頂き,今後お伺いすると言う連絡を頂いていた・・早速日本に連絡をしてビル 大友さんに連絡を入れた 所 , なななんと海外に出張中で 日本に帰らなければ 連絡先は分からないと言う返事でした・・・。。んんん困った,00メンバーの 先輩に連絡をして聞く事になりました。でも今日は金曜日の 午後4時ですよ・・もう役所はやってないし・・どうしたら??一応分かっている情報を元に・・年齢 名前 を伝えたんですが・・「田邊くん その名前の方は アメリカには700人います」えっ700人?

clip_image029.jpgそうだ 以前 ベストカーの 雑誌の中に "ドン ニコラスのスーツケース"の記事の中に 確か年齢が出ていた・・1924年生まれ?そうだこれだ もう一度 00メンバの方に伝え,そうしたらななななンと 1時間も経たないうちに「1924年は間違いないですか?でもカリフォルニアでも上の方のモントレーですよ?でも1923年生まれのドナルド ロバート ニコルス と言う方が 1人りいらっしゃいます。自動車局のデーターでも?確認出来ました?(もうすでに夕方でした)田邊さん行きますか?

clip_image030.jpgもちろん行きます。でも当日は夕方から雨が降り出して,モントレーに向かう道路は 101号線と 5号線しかありません。山の所のコースは雪に成っている事でしょう。でもとにかく 僕は鈴木の親父さんに会えるような気がして・・・向かったのです。案の定 5番は途中で 行きで通行止めになっていましたので 101をひたすら登ってゆきました。夜の8時頃出発をして着いたのは結局朝の 6時を回った所でした。家に着いたのですが まだ本人と分かったわけではないので,とりあえず近所のホテルを取り 朝の10 時頃を見計らってお伺いしましたが お留守でした。ただ 家の前の トラックの荷台にMickey Tompsonのそれはそれは 太いタイヤが載っていたのです。私は確信をしました。「間違いない ドンニコルス 氏のお宅に間違いない」それで 玄関の所に ドンニコルスの鞄の ベストカーの雑誌と 私の携帯のメモを置いて ぺブルビーチの方へ 時間つぶしに 向かいました。

clip_image032.jpg結局夜の8時まで待ちましたが,連絡がないので もう一度 お宅に向かいました。玄関に置いた雑誌が無くなっていいる・・・んん いらっしゃる。でチャイムを鳴らしたら 年配の女性が出てらっしゃいました。満面の笑みで私を迎えてくれました。ドン ニコルス氏の奥さまで 当時東京に住んでらっしゃったそうです。旦那さんのドンさんは もうそろそろ帰ってくるから待っていてちょうだいと言う事でしたので,待っていました。右の写真はドンさんの 長女の方です この娘さんは 聖心女学院に行かれていたそうです

clip_image034.jpg夜の9時30頃ドンさんは 帰ってこられました。私が何故此処に来たのかを伝え, 鈴木康雄さん(現ベルコ社長 )から預かった当時の写真をお見せしました。

clip_image038.jpg私はドンさんに 何故イーグル号を鈴木の親父さんは作ったのですか?
今あのイーグル号は何処にあるのですか?色々当時の記憶を遡って頂き 質問をさせて頂きました。また非常に貴重話しを色々伺い,本当に此処に来て良かったと思いました。

clip_image040.jpg早速 ドン さんに 今 あのイーグル号が 今 何処にあるのか,今から早速 探すのをはじめましょうと お伝えして 家を後に
しました。帰り際にドン さんがクルマの所まで送ってくれて,「どうやって此処の 住所がわかったのか?」と聞くので 私00ンバーなんですとお伝えしました。ドンさんは ずっと私を見送ってくれました。帰りのクルマの中で 僕は親父さんに告をしました。「親父さん ドン ニコルスさんに会えましたよ。」 良かったですね。
ドン さん元気でしたよ。」僕は どうしても 親父さんのお話の映画を作りたいんです。

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色々ありがとうございました。心からご冥福をお祈りいたします。
コブラファンの日本の一人として,お親父さん,ありがとうございました。

田邉正剛

さて最後は ビバ !!!!! オーストラリア,行ってきました フィリップ アイランド,3月17日~オーストラリアのフィリップアイランドにて行われたクラッシックカーレースに行ってきました。今僕はオーストラリアに居ます。Lola T-70Mk-3をお持ちのお客様と マハデ 満月さんと やって来ました。イヤーびっくりしました,こんなにオーストラリアにクラッシックカーがあったのか ・・・此処はおもしろいかも,GT40の部品の件でお世話になっているイギリスのアンデ-さんの紹介でやって来ました。此処は馬鹿に出来ないようなクルマが結構ありました。すごいのは全てのクルマがエキシビジョンの 展示車も含めて全開で走っていました。

 

これだもの・・・

 

 

Gurrny Special ですねん。

 

 

 

言わずと知れた・・・Mad Maxですね。  こんなのもありました・・??

かと思えば・・・オーストラリアの デーラーさんを何件か回りました。色々オーストラリアの場合は法律的に色々制約がありました。例えば・・新しいクルマの場合は左を右にコンバートして。

 

 

すごいですね。マイッタ・・・。

クロコダイル Mustangさんです。彼はこの様な物を ペットにしてます。私もイノシシをペットにしている方始めてみました。

 

でもきれいな 70年式のBoss Mustangをお持ちで・・・

 

ミスターフィッリップさんです。

お次は・・・DRB GT40

Mk-1のモールドです。

コンセプトのコブラです。

<編集後記>

さー , オーストラリアって綺麗なところ“ですね”でも何をやっても 時間がかかる。

 

でもきれいなところです。さー福島の原子力発電の放射能に負けない為にもこの商品はいかがですか?とりあえず10個用意いたしました。欲しい方はお問い合わせください。

  

今回公私共に 楽しい旅行を一緒に行った マハデ バデル氏に 感謝感謝!!!!

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